1999年が音楽の目覚めの僕

1986年生まれな僕、記事を書くにあたって、何をネタにしようか。やはりまずは音楽だろう。

初めてハマって聞いた音楽は何かと考えると、中1のときの宇多田ヒカルの「First Love」(1999年)あたりだと思う。90年代ギリギリだ。
その当時、まわりのオシャレな女の子はみんな聞いていた。
(そして、ギャル系の子は浜崎あゆみだった。好きだった女の子は宇多田ヒカルを、、、)

それまで家で両親が聴いていたJ-Popや、バンドミュージックとは違う、低音が効いていて、音数は少ない音楽に、カッコイイ!と感動した。
今聞いてもやっぱりカッコイイ。Time Will Tellがすごく好きだった。

その次にハマったのはなんだろう?と考えると、birdで、これまた1999年。
当時TOYOTAの車のCMに使われていた「空の瞳」を聞いて、宇多田ヒカルとは違うスピード感のある音楽で、こりゃすごい。とドハマリした。
(当時のCMの動画がないか探したけれど見つからず。大沢伸一が出演しているライブVerで。)

今もたまに聴きかえす曲を見返すと、
宇多田ヒカル「First Love」、bird「bird」、DOUBLE「Crystal」、
Dragon Ash「Viva La Revolution」、RHYMESTER「リスペクト」、
Tei Towa「Last Century Modern」…
と、揃いも揃って、1999年リリースのアルバムばかりだ。

1999年、13歳のときに聴いた音楽にここまで取り憑かれているとは。。。

いや、むしろ、99年って何かしらの、日本の音楽のターニングポイントだったのでは?と思ったが、そうでもない気もするし、そうでもある気もする。

さて、ここでは80’s-90’sの話をしなければならないのだが、99年が目覚めだった僕は、このあと何を書いていくべきか。。。

1986年生まれ、色気づいていたころには、2000年になっていた。
若い女の子にインスタグラムでいいね!をもらうために生きている。

音楽で飯を食う・・・

小室哲哉が引退表明をして数日が経った。小室ファミリー世代の私からするととても悲しい出来事であり、音楽業界からまた偉大な人が去ってしまった喪失感が大きい。

何十年間も期待に答えられるような音楽を創り、世に生み出す労力は相当なものだろうから、才能がない一般人の私には計り知れない努力と苦しみがあったであろう。

私の周りでも音楽を仕事にする者はいるが、生半可な努力では簡単に有名にはならないし曲も売れない。ごく一部のファンで構成され、その輪が徐々に大きくなってはいるが、やはりミリオンヒットミュージシャンになれるのは限られた存在だけなのだろう。

音楽で飯を食うのは容易なことではない

先日、島村楽器で見つけたグッズ。「ギター型スプーン」島村楽器のオリジナルブランドのレスポール型ギターがデザインされている。お洒落!!!プレゼント用にとギタースタンド付きまであるというこだわり。

 

これは買うしかないと即時GETした。が、実用性がほぼない模様・・・

使いにくい、食べにくいというSNSでのコメントを見かけた。こいつはインテリアとして生きていってもらおう。う〜ん、ギター1本で生活することは簡単ではないというサインなのかw

音楽で飯を食うってのは難しいことなのだ

音楽とお酒とガーリックが好き!!!!!!

そんな私がつぶやく80〜90年代カルチャーへの想いをお楽しみください。

オトナの音楽酒場 〜その2(前編)〜

〜音楽を職にする趣味にする人が集う場所〜(前編)

下北沢駅南口から徒歩4分。賑わう街の中心部から少し離れた場所にひっそり佇むcafe/field。バータイムは、国内外問わず多数取り揃えられたこだわりの地ビール、変わり種として「コーヒー泡盛」などが楽しめる。

もちろんフードも充実かつ美味しい!!特に常連が好んで食べているのが「field名物スパイシーバターチキンカリー」。深夜でもシメのカレーとして食べられている人気メニューだ。

手作りスピーカーが存在!?

名物は、手作りスピーカーから流れるこだわりの音楽。週末にはライブイベントを頻繁に開催している。バンドマンが集う下北沢らしい光景だ。アーティストやライブハウススタッフ、映像業界の人が集まり作られる空間にぜひ一度足を運んんで欲しい。

会えるアイドルKenKen!

下北沢だからこそ会えるアイドル(!?)KenKen。よく道端に転がっていたそうwいまは京都に引っ越したから確率低めですが、下北沢で一度は会ってみたい私のアイドルです。出没に関してはcafe/fieldメンバーに訪ねてみよう!!

後編はライブの光景をお届けしたいと思う。

下北沢 カフェ&バー cafe/field
世田谷区代沢5-33-3ボート代沢1A
TEL:03-3410-3488

facebookはこちら

音楽とお酒とガーリックが好き!!!!!!

そんな私がつぶやく80〜90年代カルチャーへの想いをお楽しみください。

ライブレポート 〜ロックに生かされし男たち〜

時は流れても変わらぬメロディーを届けに

1227日、東京渋谷のライブハウスLamamaに彼らは降り立った。

JUN SKY WALKER(S)、ホコ天での活躍やJ-ROCKブームの先駆けとなるなど、時代をリードしてきた4人組バンドだ。

『白いクリスマス』

会場には懐かしいメロディーが流れ、徐々にボルテージが上がっていく。

『すてきな夜空』

どれもあの頃と変わらないエネルギッシュなままの音だった。観客もここぞとばかりに歌い、飛び跳ねそんな笑顔あふれる時間と空間が繰り広げられた。

30年を振り返って

「ライブハウスは不良が集まる場所」、そう言われていた時代に新しい風を吹かせた彼ら。ホコ天で何もかも手作りで始めたライブで集まり始めたお客さん、デモテープを売ってファンを増やして、ライブハウスで演奏するまでの動員数を集め始めた。太陽の下で音楽を聞いていた人たちをライブハウスに誘導する。ライブハウスに縁のない人を巻き込んでいくバンドだった。

1997年、ベストアルバム『MY GENERATION』をリリースした年に一度解散の道を選ぶ。徐々にバンドと反りが合わなくなった宮田がバンドを辞めると言い出し、「バンドの顔である宮田がいなくなるならジュンスカじゃない」と森は解散を決心したのだ。

2007年、小林の提案で渋谷La.mama25周年のイベントに出演し、これが再スタートとなった。

2018521日にメジャーデビュー30周年を迎えるJUN SKY WALKER(S)。今年も全国各地のライブハウスを盛り上げていくことだろう・・・

音楽とお酒とガーリックが好き!!!!!!

そんな私がつぶやく80〜90年代カルチャーへの想いをお楽しみください。

80年代音楽との出会い・・・

出会いは謎のロックバンド

仙台で学生生活を送っていた私は、幼き頃から好きだった音楽とともに暮らしていた。毎日飽きるまでベースを弾くか、声が枯れるまで唄い続けるか、何かに取り憑かれたかのような生活だった。

流行りのロックも飽きたし、誰でも唄えるPOPSも聴き飽きた。そんな時に出会ったのが、仙台を中心に活動していた「Ai+BAND」!名前同じじゃんって、その時は勝手な親近感があった。

可愛い女の子が唄うキャッチーな曲が気になって仕方なかった私は、そのバンドのLIVEに通うことになった。その時初めて知ったのだが、楽器隊が豪華!誰しもが知る有名バンドでロックシーンを飾る人たちばかりだったのだ。

「Ai+BAND」の正体、、、、本田毅・ギター・PERSONZ、森純太・ギターJUN SKY WALKER(S)、川添智久・ベース・LINDBERG、川西幸一・ドラムスUNICORN

80年代、90年代発掘大作戦!!

2003年に6ヶ月連続で彼らが在籍していたバンドのリメイクシングルをリリースした。このバンド!!!なんだっけ??それが私と80年代との出会いだった。(ちょっと遅めw)

それからというもの、流行りの洋楽、邦楽はさておき、懐かしさを感じる往年のロックを漁る日々が続いた。プレイヤーに入る音楽もバンドを組んでも唄うのも彼らの音楽だった。あれ、ジュディマリどこいった?ってみんな思っただろう。

そんな学生時代も終わり大人になるにつれ離れていく音楽、なんとなく東京に出ようと思った時にどこに住もうかなんて考えた私は「武蔵境」を選んでいた。知る人ぞ知るJUN SKY WALKER(S)がデビュー前に練習を重ねていたスタジオがあった場所。『1986』の歌詞にも刻まれている。彼らがっこでスタートを切ったように、私の東京の始まりもここにしようと思った。(いま思えば)

以後、JUN SKY WALKER(S)はホコ天でHEROとなり、今年30周年を迎える。これからも彼らの飛躍を見ながら私はどんな人生を歩むのだろうか・・・楽しみだ。

音楽とお酒とガーリックが好き!!!!!!

そんな私がつぶやく80〜90年代カルチャーへの想いをお楽しみください。

テレビが私に教えてくれたこと「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」

僕にとって90年代とは「テレビ」でした。
テレビに出てくる人が僕のヒーローだったし、テレビで描かれてる世界が本当の世界だと、ある程度オトナになるまでは信じて疑わなかったのです。
テレビとは「世界」と「」とをつなぐ魔法の箱でした。

お笑いに多大なる影響をうける

特に90年代、「お笑い」「バラエティ」といったジャンルがテレビを支配しはじめていった時期に僕は小学生になるのでした。
特に、両親が「オレたちひょうきん族」が好きで、チャンネル権が無い小学生の僕はなかば、半強制的に見せられて育ちました。そのなかでも、タケちゃんマンをはじめとして、「ビートたけし」という存在に子供ながら魅了され、惹かれていったのです。あ、この人は他の人と何か違う存在だなと。

「天才たけしの元気が出るテレビ」

1985年4月14日から1996年10月6日まで日本テレビ系列ほかで放送されていたバラエティ番組。通称「元テレ」は、ドキュメントバラエティの元祖。
特にすごかったのは「名も無き素人」にスポットライトをあて、様々なヒーロを生み出して、社会現象を作り上げたこと。この番組で作られた様々なフォーマットは、今のバラエティの基礎になってること。
さすがテリー伊藤先生!凄い!

毎週日曜日にこれを見てから学校に行き、笑いを取る。逆に見ないと話題に乗り遅れるといった、よくあるな小学生生活を送ってました。
こんな元気が出るテレビファンの僕が好きだったキャラクター(いまは様々な事情で再放送できないキャラも)をいくつか思い出してみました。

・軽井沢にいる怪しい動きをする蕎麦屋の親父

高田純二のボケレポートの元祖。どこの蕎麦屋だこれ?

・X JAPAN 伝説の「やしろ食堂 LIVE」

Xがデビューしたての頃の貴重な映像。この後、バーバラアキタダなどのヘビメタキャラが登場する。

・ダンス甲子園「加藤!加藤!いまきた加藤!」

LLブラザーズや山本太郎も強烈だったけど、このキャラはもっと強烈だった。

・伝説!パンチ相沢会長の結婚

見た目は怖いけど、根は優しい相沢会長。

・ジャニーズ予備校の岡田くん

今見ると、ジャニーズ枠のコーナーだったんですね。

・早朝バズーカシリーズ!林家ぺー・パー子

早朝シリーズの元祖。定番はバズーカ。戦車や熱いオシボリシリーズもありましたね。

他にも、大仏魂とか、的場浩司とか、日出郎とか、飯田覚士とか、劇団ひとりとか、三上大和とか、宅八郎とか、ジェット浪越とか、いっぱいいましたけど、それはまた次回。

大人気お騒がせテクノ・ハウスデュオ「Steve & Jobs」。

サブカルチャーからアンダーグランドミュージックを語ります。